☂第1章:全てが手探りだったけれど
たかさん。確か今年で32歳。私、今年で確かに41歳。
出会いは2011年、生活介護事業所『ぴーすてらす』。そこから干支が1周以上するほど長い付き合いになりますが、その年月以上の密度で、彼との物語は進んでいきました。
私は『ぴーすてらす』で働く生活支援員です。重度の障害がある方が通う施設で、トイレ介助や食事介助、ウォーキングの付き添い、日中活動や外出の支援などを行っています。
たかさんとの出会いは、とてもシンプル。「たかさんが、新しい利用者さんとして『ぴーすてらす』にやってきた」ことがきっかけでした。
たかさんは自分で歩くことができ、多少こぼしてしまうことはあるものの食事も1人でできます。トイレも自分から向かえる強みがあります。
ただ、気持ちを言葉で伝えることが得意ではありません。それでも、見守りがあれば自分のペースで穏やかに過ごすことができます。
両手を太ももに挟んだまま、椅子で体をゆらゆらさせるのが定番の動作で、とても穏やかな表情を浮かべ、時々声を出して笑顔を見せてくれます。
利用し始めた頃の私は、送迎車で同乗する程度で、深い関わりはありませんでした。
「ゆらゆらしているな」と遠目に気づくことはあっても、ほとんど言葉を交わさずに1日が終わることもありました。
今思えばこれ、「気づいたら目で追っているクラスメイト」みたいな恋愛ドラマのフラグですね。
***
現場に入ると、紙の情報ではわからない姿がたくさん見えてきます。たかさんも例外ではありませんでした。
たかさんを一言で表すなら、「思い入れがとんでもなく強いタイプ」です。
人間誰にでも思い入れはありますが、彼の場合は
・コーヒーは絶対に飲み干したい
・ペットボトルは一滴も残したくない
・手を洗い始めると止まらない
など、“強いルーティン”が日常のあちこちに存在します。
会話は1〜2語文と指差し中心ですが、うまく噛み合えば1往復くらいの言葉のキャッチボールができます。
普段は穏やかですが、ひとたび何かが気になると、目つきが鋭くなり「あ〜!」「うわぁ〜!」と声を上げ、一直線に向かっていってしまいます。
巻き込みが起こる危険もあるため、当時の私はどう対応していいかわからず、ただオロオロするばかりでした。
***
その日は事務所でパソコン作業をしていました。『ぴーすてらす』は事務所から大部屋も玄関も見渡せる造りになっています。
しばらくすると玄関がざわつき始めました。
「たかさんが送迎車から降りる時に怪我をした」
その情報が飛び込んできた瞬間、空気は一変しました。ご家族さんへの連絡、受診対応、不安が広がる他の利用者さんのケア…。誰ひとり冷静ではありませんでした。
その時、私は――動けませんでした。
たかさんの怪我という事実から、一瞬でも目を背けてしまったことを、今でもはっきり覚えています。
そして届いた一報。
「膝蓋骨骨折により入院」
さらに、意思疎通が得意ではないたかさんに、日替わりの職員が付き添うという施設の決定に、私は何も言えませんでした。
そのまま帰宅し、缶チューハイを開けた瞬間。
「不味い」
慣れた味なのに、ひどく不味い。
それは――たかさんへの支援方法が間違っていると感じながら、言い出せなかった自分への嫌悪だったに違いありません。
目を背けるのは、もう終わりにしよう。
翌日、私は上司に「自分がメインで支援に入りたい」と伝えました。上司も同じ葛藤を抱えており、私の決意を全面的に後押ししてくれました。
たかさんの支援に入ると決めた理由が「缶チューハイが不味かったから」だなんて、さすがに本人には言えませんけどね。
***
陽向(ひなた)総合病院の病室前で、私は今までにないくらい緊張していました。
「あの時何もできなくてごめんなさい。退院するまでお手伝いしたいです。」
普段なら言いたいことをグッと飲み込んでしまう私でしたが、入院しているたかさんに付き添うことになった初日、自分の素直な気持ちを伝えました。
そして、病室にいたお母さんにも、施設の対応について何の意見もできなかったことをお詫びし、入院中のケアを担当させてほしいとお願いしました。
下げた頭の上から水をかけられようとも、もう二度と引き下がりたくない。そんな不退転の決意が届いたのか、お母さんは「お願いします」と、私が中心となって日中のケアに入ることを認めてくれました。
ベッドに横になり、苦しそうに肩で息をするたかさんを前にすると、自分の無力感というか、申し訳無さのようなもので心が一杯になります。
たかさんは、言葉のキャッチボールが得意ではありませんが、気持ちは必ず届くと信じて勇気を振り絞ったことを覚えています。
嫁さんにプロポーズしたときよりも緊張しました。いや、ホントに。
***
ご家族さんからのご意見なども踏まえ、私の1日は次のような流れになりました。
・朝、お母さんとバトンタッチする
・日中、病院から許可された身の回りのお世話や、医療関係者さんとの意思疎通をサポートする
・夕方、お母さんとバトンタッチする
ご家族さんの立場からすると、「『ぴーすてらす』で怪我をしたたかさんを、そこで働く職員に託す」形になるわけです。
今すぐには無理でも、「託してよかった」と思ってもらえるような仕事がしたい、そして何より「退院までお手伝いする」というたかさんとの約束を守りたい。
たかさんに告白(?)し、お付き添いをスタートさせた私ですが、たかさんやご家族さんへの申し訳なさはずっと消えないままでした。
ベッドには苦しそうに寝ているたかさんがいて、ご家族さんとバトンタッチしてからの時間を一緒に過ごします。
病室での付き添いが始まることになったときから、私の心の片隅には、ずっと気になっていることがありました。
「ご家族さんが戻ってきたら、病室とはいえ『家族の時間』がやってくる。引き継いだ時に病室に私がいた痕跡があったら、施設の人が家にいるみたいで不快に思ってしまうかもしれない。」
そして、たかさんは思い入れがものすごく強いタイプです。
私の何気ない行動が、たかさんのルーティンに入り込んでしまうことは、彼自身にもご家族さんにもプラスにはなりません。
もし、彼が 私との過ごし方を、ご家族さんに求めてしまうことになれば、彼自身だけでなくご家族さんの心理的な負担が増えてしまいます。
私が出した結論は、「可能な限り支援の痕跡を残さないこと」でした。
使ったものは可能な限り元の位置に戻し、ゴミは部屋の外のゴミ箱を使うことを徹底しました。
徹底しすぎて、「食べ物の匂いを残さないために、昼食に白いご飯だけ持ってきて食べる(ふりかけの使用は可)」という選択までする必要があったのか、なかったのか…。
***
『ぴーすてらす』には制服がなかったので、私は毎日ジャージでたかさんが入院している病院へ向かいました。
毎朝、陽向総合病院の駐車場に停めた車から降り、鍵をかけたあと身だしなみをチェックするところから、私の付き添いは始まっています。
好きな人に会うのに乱れた格好じゃ失礼ですし……いや、これは半分本気です。
服装の乱れは支援の乱れ。これぞ忍者の思考です。
病室の前で一礼してから入室します。家族ではない“付き添いの人”として見られる分、余計に姿勢を正さなければという意識がありました。
お母さんと引き継ぎをして見送ると、たかさんのモーニングルーティンが始まります。
私をじっと見つめ、キラキラした瞳で「フォード」と一言。
私が返すと、次は「コロナ」。
これを10往復ほど繰り返し、「お終いです」と伝えるとピタッと止まる。ピーステラスにいた頃から続く、2人だけの不思議なルーティンです。
***
病室にはご家族が用意したCDプレーヤーと、宇多田ヒカルのアルバムが10枚ほどありました。たかさんは聴きたいとき、「うただ」と伝えてくれます。
もし違うCDを選んでも心配ありません。
聴きたい曲が出てくるまで「うただ」を繰り返してくれるからです。
特に多かったのは『Automatic』。
彼が退院した2〜3年は、この曲が流れると私は病院を思い出していました。宇多田ヒカル=病院の記憶なんて、なかなかないでしょう。
(※本作はフィクションです。実在の人物・曲名は便宜上使用しています。)
***
付き添いを始めて数日、たかさんが病室の壁のほうを見て「あ〜!」と訴えるような声を出すことがありました。
何かを指差しているのはわかるんですが、何を求めているのかがわかりません。
置かれているのはペン立て、歯ブラシ、お茶、ガーグル…。新しく増えたものはありません。
お母さんもたかさんのことをよく知ってくれているので、新しくなったものがあればその都度伝えてくれるはずです。
しばらく悩んでいると、たかさんが「歯ブラシ」と言ってくれました。たかさん、ナイス!
ですが、歯ブラシは昨日見たものと同じ、置き場所も……いや、違いました。いつもは“右”に立てかけてある歯ブラシが、“左”に置かれていたのです。
右に戻すと、たかさんはスッと落ち着きました。瞳が「それそれ、ナイスだぜ」と語っているようでした。
こうして、彼の“思い入れの強さ”と向き合いながら、忍者のように痕跡を残さず、でも全力で支える日々が続いていきます。
たかさんは右膝を骨折しているので、リハビリの時間以外は基本的に安静です。
…とはわかっていても、ベッドから無理やり体を起こしてでも気になるものを何とかしたい人、それがたかさんです。
たかさんが入院している病院では、朝夕にお茶が配られます。500ミリリットルほど入る円筒状のタッパーで、取り外しができてパチッと閉まるフタが付いています。
たかさん、このフタが「パチっと閉まっていてほしい」んです。
少しでも蓋が開いていると「お茶、パチっと閉めて」と伝えてくれます。
ですが、お茶は熱いので、しっかり閉めると中の空気が膨張してしばらくするとフタが開いてしまいます。それに気づいたたかさんが声をかけてくれます。
たかさんの特性上「冷めるまで待って下さい」や「開いていても大丈夫です」という声かけをインプットすることは極めて苦手です。
冷めるまで見えないところにおいておく方法もありますが、一度目に入ってしまうと「気になるモード」を切り替えるのも得意ではありません。
それならば、徹底的にお付き合いする一択です。 閉める、開いてしまう、「お茶、パチっと閉めて」、閉める、開いてしまう、「お茶、パチっと閉めて」という無限ループの突入です。
(アニキ! 物理の法則は無視できねえッス!)
(何言ってるんだ! 何度でもトライするのが男のロマンじゃないか!)
という魂の叫びによるやり取りがあったかどうかはさておき、お茶が冷めるまでパチっと閉めては開いてくるフタと格闘する、たかさんと私でした。
こんな具合で、ありとあらゆるものが気になってしまうたかさん。ストレスに比例するように、気になるものは増えていきました。
10日ほど経った頃、「気になってしまう」という行動が顕著に現れる出来事が起こりました。 その日も何か気になるものがあったのか、机の方を指さして「あー」と声を出して話しかけてくれました。
指をさしている先には箱ティッシュが1つ。「置き場所を変えてほしいのかな?」と考えましたが、場所を動かしても収まる様子がありません。
「ティッシュ使いますか?」と聞いても、「いらんの!」と返ってきます。
対象はティッシュで間違いなさそうです。たかさんの今までの行動を思い返し、脳みそフル回転で考えました。
そして、たった1つ思い浮かんだ可能性を試してみました。
箱から出ているティッシュの角度を真っ直ぐにする。
自分でもまさかと思ったんですが、やってみたらピタリと収まりました。たかさんも、言葉にならない言葉で語り合った充実感で満足そうでした。
(コレ!? たかさんコレが気になるの?)
(そうさ、これからもティッシュは真っすぐで頼むぜブラザー)
程なくして、疲れたのかウトウトし始めたたかさん。
「貴方に世界はどう見えているの?」
私はベッドで横になる彼にむかって、無意識に語りかけていました。
私が見ている世界と、たかさんが見ている世界は違う。自分の世界を基準にするのではなく、相手の世界の見え方を知れば、通じあえるものがあるかもしれない。
この瞬間、私は本当の意味で生活支援員になれた。そんな気がした病室での出来事でした。
☁第2章:私にできること
たかさんは、ご家族さんと過ごす時間も含め、24時間のサポートが必要です。
入院先である陽向総合病院では、2人部屋に入り、2台あるベッドのうち1つをたかさんが、もう1つをご家族さんが利用していました。
天井は決して高くなく、ベッドを2台置くと車椅子がようやく転回できるほどの広さの病室。そこが、たかさんが過ごす世界でした。
枕元には、自宅から持ってきたCDプレーヤーと数枚のCD、そして数冊の本が並んでいます。
ご家族さん用ベッドの周辺には、たかさんの視界に入ると気になってしまうタオルや着替えなどが、見えないように工夫して置かれていました。
入院から2週間ほど経ったころ、たかさんから話しかけてもらえることが増えてきました。
少しずつ距離が縮まっていくのを実感し、意思疎通が進むほど「外の世界」とたかさんをつなぐお手伝いができている気がしました。
そんな病室には、たかさんの相棒がいました。アヒルのぬいぐるみ「ガーコ」です。
たかさんは時々「ガーコ」と言って私を見てくれます。おそらく「遊んでほしい」という合図なのだと思うのですが、肝心の“どう遊べば正解なのか”が全くわかりませんでした。
一度勇気を出して、
「やあ! 僕ガーコだよ」
とやってみましたが、たかさん無反応。
別の日に、
「オッス! おらガーコ!」
とふざけてみても、無反応。
さらに別の日には、
「ハァイ! マイネームイズ ガーコ! イェーイ!」
と全力でふざけてみましたが、見事に無反応でした。
否定されても良かったのに…と恥ずかしくなるほどの静寂が病室に流れたのを覚えています。
退院までに何度か「ガーコ」遊びのリクエストはありましたが、あれの正解はいまだにわかりません。もう10年近く経ちますが、たぶん一生わからない気がします。
***
入院当初は絶対安静だったたかさんですが、1週間ほど経ったころからリハビリが始まりました。
担当は若い理学療法士のセガワ先生。
自力での意思表示が難しいタイプの人と関わった経験は少ないと言っていましたが、誰よりもたかさんの特性に寄り添ってくれる先生でした。
まず始めに、リハビリの時間を可能な限り「午後1番」に固定してくれたのです。変化が苦手なたかさんのために、検査が重なりやすい午前を避けてくれた配慮でした。
これだけで、私もご家族さんも本当に安心できました。
「お昼ごはん → セガワ先生」
この流れを作ってくれたことで、たかさんはスムーズにリハビリに向かうことができたからです。
リハビリは、
「ベッドに寝た状態で足を動かす」
「平行棒につかまって歩行練習」
というメニューが中心でした。
そして、たかさんの好きな食べ物などをしっかりと覚えていてくれて、いつも優しく話しかけてくれました。
たかさんのリアクションを受け止めつつ、リハビリを淡々とこなしていく、一連の動作から確かな自信を感じます。まさにプロフェッショナル。
そうして毎日の日課になったリハビリ。病室のドアがノックされセガワ先生の顔が見えると、たかさんが安心して「リハビリモード」に切り替わるのが、近くにいて伝わってきます。
私はリハビリ中はできるだけ視界に入らずにそっと見守ります。時々、視線が合うことがあります。その瞳はいつも「何してるの?」と言っているようでした。
(応援してますよ、たかさん)
口に出さなくても、気持ちは届いていると信じています。
***
たかさんは、自分の置かれた状況に関わらず「はい」と答えてしまうタイプです。
体調が悪くても「だいじょうぶ」と返事を返してしまうことがあるので、たかさんの特性を知らない人からすると「大丈夫なんだ」と思ってしまう部分に難しさがあります。
また、発音が少し特徴的で、慣れるまでは聞き取りにくさを感じる場合があります。
たかさんに関わる病院のスタッフさんに、彼の状況や言葉をできるだけ正確に伝えるのが、日中お付き添いするときの大切な役目でした。
病棟では多くのスタッフさんが、温かくたかさんに声をかけてくれました。
「おっす!」と、いつも明るく入ってくるナースエイドのアラタさん。
シーツ交換から移動の付き添いまで、テンポよく、そして何よりも楽しげに関わってくれます。
「おっす! たかさん、今日はレントゲン! はい、ベッド動きます。アナタも来るの? じゃあ、エレベーターのボタン押してきて! 1階ね!」
時には私もアラタさんの助手になっていました(笑)
初めて会う人には少し身構えてしまうたかさんですが、そんな「身構えモード」も軽々乗り越えるほどの笑顔でたかさんに声をかけてくれます。
病室が一気に明るくなるような人です。
「今日もガーコは元気だね〜!」
そんなひと言の明るさに、どれだけ救われたかわかりません。
ほかにも、毎日掃除に来てくれるヨシムラさん、優しく声をかけてくれる看護師さんたち。
気分転換の散歩をしていると、あちこちから声がかかります。
「たかさん、昨日は眠れましたか?」 「うぃ」
「たかさん、おはようございます」 「おはよぉいます」
そのたびにたかさんは、嬉しそうに、誇らしげに返事をします。
「ばっちり会話してるぞブラザー」とでも言いたげな瞳。
(アニキ、すごいっす…)
私も心の中で答えていました。
すれ違うたびに優しく声をかけてくれる看護師さんとそれに答えるたかさん、彼の周りに「つながり」ができていくのを感じていました。
そして、同時に「このつながりの中で、いかに私が上手にフェードアウトしていくか」を漠然と考え始めた時期でもあります。
***
順調に回復し、少しずつ活動量を増やしていた6月の終わり。
ご家族さんへの引継ぎのために書いていた記録を改めて見直してみると、当時の対応がいかに予期せぬものだったかがわかります。
たかさんのことに関しては、記録を見返せば記憶と突合できることがほとんどですが、この時に限って言えば記憶がかなりあいまいです。
思い出そうとしても思い出せない部分がたくさんありますが、あの日は病室の前まで重苦しい空気が漂ってきていたことだけは鮮明に覚えています。
突如たかさんの膝が大きく腫れ、緊急処置が必要だと告げられました。
診断は化膿性膝関節炎。
ショックで言葉を失うとはこういうことか、と思いました。
処置の翌日、病室へ入ると、化膿を抜くためのチューブが膝に刺さったたかさんの姿がありました。
「広がりかけていた世界が、元に戻ってしまった」
ご家族さんへの引き継ぎを終え、たかさんと2人になった瞬間、強烈な悔しさと悲しさがあふれて涙が止まりませんでした。
あの時のショックは忘れられません。
実はその3日前から主治医の先生と相談して、少しずつ日中活動を増やしているところでした。
病棟のナースステーションの向かいが、「デイルーム」と呼ばれる共有スペースになっています。大きなテーブル、歩行訓練用の平行棒、畳のスペースなどがあります。
ここで、パズルや絵画などを楽しんでもらうことにしました。 パズルも絵画も『ぴーすてらす』で実施していた、たかさんにとって馴染みのある活動です。
たかさんはクレパスなどを手渡すと、グルグルと円をえがくように絵を描いてくれます。色を変えて繰り返せば繰り返すほど、線の密度が濃くなり、画用紙がグルグルで満たされていきます。
頃合いを見計らって声をかけ、描き終わった絵にタイトルを付けたら活動終了です。
入院時に欠かさずつけていた記録には「ちょっと切ない金曜日のくまちゃん」という作品ができました。と書いてありました。
…タイトルは私がつけたんですが、一体どういう流れでこのタイトルになったのか、思い出せませんでした。
たかさんの緊急処置はそれから間もなくのこと。処置前後の記録の字が、ところどころ震えていました。
***
処置後はリハビリの再開も見通せず、再びベッド上での生活が中心に。
そんな中、ある日ふと
「ぞうさんのあくび」
という声が聞こえてきました。独り言のようでした。
どこかで聴いたことのある単語です。普段は仕事のことをあまり話さない私ですが、この日は帰ってから嫁さんにそれとなく話してみました。
「弘道お兄さんの前の体操のお兄さんのコーナーだね」 と即答する嫁さん。そう言えば、「弘道お兄さん」もたかさんの口から出てきたことがあります。
さらに、「これ持っていったら?」と言って、DVDプレーヤーと『おかあさんといっしょ50周年記念コンサート』のDVDまで持たせてくれました。
翌日再生してみると、たかさんが声を出して笑ったのです。
「たかさん、こんなに笑うんだ…」
感動でしばらく声を失う私…。ご家族さんに報告するため、すぐに記録をつけたのは言うまでもありません。
それ以来、たかさんにとってDVD鑑賞は大のお気に入りに。
そして、たかさんの独り言はこれだけではありません。たかさんの様子をご家族さんにお伝えするための記録に、たかさんの素敵な言葉たちを書き留めるのが私の小さな楽しみでした。
「大変だ、大変だ、ガーコ、ガーコ、大変だ〜」
「どこへいくのじゃ〜」
「何をしておるのじゃ〜」
「たいくつやな」
「豆腐食べた、ご飯食べた」
痛々しい現実に心が折れそうになったとき、彼の独り言が救ってくれることが何度もありました。
(たかさん、ありがとう)
(何言ってるんだブラザー。そんなことよりお茶のフタをパチっと閉めてくれよ)
そんな気持ちのやりとりが、確かにそこにありました。
そして、緊急処置から約1週間。主治医の先生から「血が綺麗になってきた」と言われました。
膝のチューブが抜ければ、再びリハビリが始められます。
「チューブが取れたら、リハビリしましょう」
「いつまで」「いつから」が難しいたかさんに、ゆっくり、何度も伝えました。
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☀️第3章:”付き合っていく”ということ
化膿性膝関節炎の処置で、たかさんの膝にはチューブが取り付けられ、退院に向けて続けていたリハビリが一時中断していました。
そして、膝のチューブとは関係なく、入院中はずっと点滴も続いています。
本来、点滴は利き手と反対側につけることが多いそうです。
ですが、たかさんの場合、利き手が自由だと点滴を外してしまう可能性がありました。そのため、あえて利き手側に点滴を入れるという選択になりました。
当時は、点滴を外してしまうような行動はなく、最善の判断だったと思います。しかしその反面、予想外の「食べにくさ」という弊害がありました。
ただでさえ細かな手指の動作が得意ではないたかさんにとって、利き手に点滴がある状況は、きっと負担が大きかったと思います。
後からお母さんに聞いた話ですが、この時期は、お茶を要望頻度や、「口を拭いて」と訴える回数がいつもより格段に多かったそうです。
陽向総合病院では、お昼になると、看護師さんやナースエイドさんが食事を運んできてくれます。気分転換に共有スペースで食べる日もあれば、病室でゆっくり食べる日もありました。
ベッドを適切な角度まで起こし、テーブルをセットし、エプロンをつけてフォークを渡すと、お食事タイムの始まりです。
「いただきます。」
(とは言うけれど、野菜とフルーツと汁物は食べないぜ、ブラザー)
……いやいや、たかさん。それだと食べられるの、ご飯だけになりますよ。
そんな小さな困りごとも一緒に工夫しながら過ごす毎日でした。しかし、たかさんの膝には相変わらずチューブがついており、発熱も続いていました。
化膿するほどの炎症が起きているのだから、当然といえば当然です。
私は気が気ではありません。心配を通り越して、「何とかしてあげたい」という気持ちが強くなっていました。でも私は付き添いです。勝手な判断や処置はご法度。
そんな中で、唯一できたことが「検温」です。
ちょうど家で体温計を失くしてしまい、新しいのを買ったら元のが出てくる…という、よくある(?)アレが起きて家に体温計が余っていたので、それを持参しました。
一時期、私は体温ばかり測っていました。記録用紙を見ると、1時間に1回のペースで書き込みが残っています。たかさんからすれば、
「また測ってる。測りすぎじゃない?」
「お前は検温マンか!」
と思っていたかもしれません。でもね、それくらい心配だったんですよ。
***
膝にチューブが入ってから約2週間。私達にとって、待ちに待った瞬間、チューブ抜去の時がやってきました。主治医の先生が病室で処置をしてくれ、私も立ち会うことに。
自分のことではないのに緊張してしまい、見ているだけで膝が痛くなるような感覚。抜く瞬間には、思わず小さく「痛っ」と声が出てしまいました。
そんな私に対し、たかさんは体を少しこわばらせたものの、終始落ち着いていました。その目はまるで、
「へいブラザー、お前がオロオロしてどうするんだ」
と言っているようでした。 (そんな事言われても、怖いものは怖いんですよ〜)
処置の日から、セガワ先生が簡単なリハビリに来てくれるようになりました。足の曲げ伸ばしなど、歩行訓練への準備が少しずつ始まります。
介護記録にはセガワ先生からの伝言として、
「リハビリ的には材料は揃っています。あとは主治医のゴーサイン待ちです。」
とはっきり書かれていました。
そしてついに——リハビリ再開の日がやってきました。
***
セガワ先生に迎えられ、たかさんはいざリハビリ室へ。膝にチューブを入れていたとは思えないほど穏やかな表情です。セガワ先生も嬉しそう。
そんな中、異様に緊張している人物が1人。はい、私です。
「歩けるかな…」「痛くないかな…」「やり方覚えてるかな…」
と頭の中がぐるぐるしていましたが、リハビリ室に着いたのでひとまず落ち着きましょう。
傷の状態を確認したセガワ先生が、
「今日は歩行器ではなく、平行棒を使って歩いてみましょう」
と提案しました。
2週間以上寝たきり。普通なら、歩く意欲が落ちてもおかしくありません。
しかし、たかさんは平行棒に手をかけ、すっと立ち上がり、その手を離して数歩前に進んだのです。
歩けた。
たかさんは、歩くことを忘れていなかった。
「しっかり歩けています。今日はここで終わりにしましょう」
セガワ先生の言葉を聞き、私は全身に感動が駆け巡りました。その感動があまりに大きすぎて、夕方お母さんに報告する時、思わず泣いてしまったほどです。
すいません、お母さん。たかさんのことになると、涙腺のパッキンが壊れちゃうんです。
落ち着きを取り戻すためにも、時間を少し巻き戻した話をしましょう。
***
リハビリ再開の1週間ほど前。たかさんの病室にある窓の上あたりで、雨漏りが発生しました。
業者さんから、
「しばらく窓の近くには物を置かないでください」
と言われました。
「わかりました。」 とお返事したのは良いものの、実はこれが重大な、重大な問題でした。 ここ重要なので繰り返しますね。 「これからしばらく、窓の近くには物を置かないでください」
物の置き場所に対して、とても強い思い入れのあるたかさん。
実は、窓とカーテンの隙間に「たかさんにとって、見えてしまうと気になって仕方がないもの」が大量に収納してあったんです。
パジャマ、尿取りパッド、タオル、箱ティッシュの予備…。たかさんの特性上、一度「気になってしまったもの」を「気にしないようにする」のは困難を極めます。
「窓の近くに物をおいてはいけない」 という業者さんとの約束を守りつつ、 「見えると気になって仕方がない」 というたかさんの気持ちにどう寄り添うか。
お母さんと相談し、雨漏りの被害を避けつつ、たかさんの視界に入らない場所——テレビ台とご家族さんのベッドの間の床に段ボールを敷き、そこに仮置きすることにしました。
膝にチューブを取り付けたたかさんが、不安になって周囲の制止を振り切って動いてしまう事のないよう、リスクをできるだけ回避しようとしていた頃の出来事です。
問題は2つ。
①たかさんに気づかれないように移動させる
②「そこに置いてある」と悟られないようにする
これらが全てクリアできて初めて、たかさんが安心して過ごせる環境が整います。
『ぴーすてらす』での業務であれば、多少の試行錯誤も可能かもしれません。ですが、ここは陽向総合病院の病室、そして相手はたかさん。
リカバリーの難しさなどを考えると、1発で成功させたいというのが本音です。
①は、たかさんが寝ている間にご家族さんと協力して行い、すんなりクリア。
難しかったのは②です。
タオル1枚取るにも、そこにあると悟られてはいけません。背中を向けてこっそりしゃがむのも、かえって気になってしまうでしょう。
そこで、DVDに集中している時や回診のタイミングなど、たかさんの注意がそれる瞬間を狙って必要な物を準備しました。
結果として、修理完了までたかさんが不安定になることはなく、仮置きしていた物を元に戻すのもスムーズにいきました。
ご家族さんとの連携の大切さを痛感した出来事でした。
***
たかさんは、とても偏食さんです。
食べるものは基本的に、ご飯とお肉類のみ。野菜とフルーツ、汁物は殆ど食べません。また、卵を使った料理も苦手です。
マヨネーズは「かけてある」「和えてある」共に食べません。ふりかけはOKですが、毎回使わなければならない、というわけでもありません。
たかさんの食の好みがわかってくると、配膳されたメニューを見ただけで、「コレとコレを食べるはず」というのが見えてきます。
ある日のメニューがこちら。
・ごはん
・とり肉の卵とじ
・ひじき
・春雨サラダ(マヨネーズ和え)
・お吸い物
・フルーツ
……ごはんしか食べるものがない。
食欲がないわけではないので、少しでも食事を楽しんでもらえたらという思いで、もう1度メニューを見ました。
そして、ひとつの希望を見つけました。
「ひじき」
副菜の彼が、こんなに輝いて見えた日はあったでしょうか。
たかさんがご飯を食べるペースに合わせ、ひじきを少しずつご飯にのせて食べてもらいました。すごいぞ、ひじき。君には無限の可能性がある!
最初に「ひじきを食べよう!」と思ったご先祖様、感謝いたします!!
ニヤニヤしながらひじきを乗せる私と、何事もなくご飯を食べるたかさん。 後から振り返ってみると、何とも不思議な光景ですね。
それ以来、たかさんが食べられそうなおかずを、ご飯といっしょに食べてもらうのが、私の大事な仕事の1つになりました。
***
リハビリや検査以外はたかさんから声がかかった時に対応するため、私は病室の窓際で待機することが多くありました。
視線を上げるといつも同じ景色。1時方向に見える牛丼チェーンの看板が、毎日視界に入ります。
最初は「牛丼食べたいな〜」くらいでしたが、同じ景色が続くほどに、「退院できるのはいつだろう…」という不安が大きくなっていきました。
しかし、たかさんの体は少しずつ回復しており、ついに「お風呂OK」の指示が出ました。
怪我の具合や、途中で発症した化膿性膝関節炎の経過などを判断し、最初はシャワー浴からスタートしようという話になりました。それでも今の私達にとっては十分すぎる喜びです。
突然の入院から約1ヶ月半。体を拭いてもらうことはあっても、お風呂にはずっと入れなかったのです。お母さんも私も大喜びでした。
病院の浴槽は特殊浴槽。濡れても大丈夫な専用ベッドに移動してそのまま浸かるタイプのお風呂です。
「おっす!」
元気印のアラタさんが笑顔で迎えに来てくれ、たかさんもワクワクと不安が入り混じった表情をしていました。その目は
「今からさっぱりするんだぜ、ブラザー」
と語っているようでした。
「あなたはどうするの?」 手際よく移動の準備をしながら、私にも声をかけてくれるアラタさん。もちろん私も浴室まで同行させてもらいます。
浴室では、手際よく準備をするナースエイドさんの邪魔にならないようにしながら、私もたかさんの足の方に回って、様子を見せてもらうことにしました。
「止めてください!」
反射的に声が出ていました。
たかさんが、湯船に浸かるための機械に乗り換え、浴槽の上まで移動したその時、私の目がたかさんの膝の違和感を捉えました。
何の根拠もない違和感ですが、「見逃してはいけない」と本能が告げていました。私が口を出して良いのか迷いましたが、何もしないことの後悔がどれほど大きいかは、あの時の私自身が一番良く知っています。
気のせいであってほしかった。
けれど、確認するとほんのわずかですが、傷口から浸出液が出ていました。看護師さんと主治医の先生に連絡し、入浴は延期に。
ほんの少しの違和感を見逃さなかったのは、自分でもよく気づいたなと思います。でも同時に、たかさんをがっかりさせたかもしれない…という気持ちも残りました。
楽しみが延期になってしまった気持ちと、不測の事態を回避できた安堵。その両方を抱えたまま、夜が更けていきました。
それでも私は知っています。
「明けない夜はない。」
そう自分に言い聞かせ、翌日もたかさんの病室へ向かいました。
🌈第4章:新しい”いつもの生活”へ
「ロク・イチ・ゴ〜!」
病室に響くたかさんの声に、思わずビクッとなる私。
入浴延期の決定から数日後。午後の回診で異常がなければ、今日からシャワー浴OKと伝えられていた日でした。
前回は直前で中止になったこと、そして今回も「もし異常がなければ」という条件つきだったこともあり、たかさん本人には、事前に伝えないでおこうと判断していました。
…が、たかさんのアンテナは相変わらず鋭い。私が緊張していたのが伝わったのかもしれません。
「おいおいブラザー、君が緊張してどうするんだい?」
そんな声が聞こえてきそうなくらい、私の方が落ち着いていませんでした。
「ロク・イチ・ゴ〜!」でビクッっとなって、足をベッドサイドにぶつけたのは、誰にも言わないでくださいね。
緊張しっぱなしの私とは対象的に、いつも通りのたかさん。午後の回診でも異常はなく、とうとう約1ヶ月半ぶりのシャワーが実現しました。
シャワー後のたかさんは髪がサラサラで、こっちまで嬉しくなります。
その日の引き継ぎ用紙には、満面の笑顔でピースするたかさんのイラスト。
お母さん手描きの可愛い絵から、どれだけ嬉しかったのかが伝わってきました。
入浴ができたことで、退院がいよいよ現実味を帯びてきます。課題はまだまだありますが、病室の空気は確実に明るくなりました。
***
「おかあさんといっしょ」を見ると、笑顔になるたかさん。DVDの鑑賞は、今ではすっかりたかさんの日課です。
なかでも「ひろみちおにいさん」が出てくる3種類のDVDがお気に入り。ちなみに、どれが観たいかは毎回ランダムです。指差しか、短い言葉でリクエストしてくれます。
この日のやり取りは忘れられません。
1枚再生 → 「ちがうの。」
2枚め → 「ちがうの。」
3枚め → 「ちがうの。」
私(え、全部ちがうの?)
そして次の瞬間、
「うただ。」
私「CDかい!」
「はい。」
最初からCDだったのか、途中で気が変わったのか…今となってはわかりません。でも、なんとも言えず愛おしいひとコマでした。
几帳面すぎる私と、トリッキーなたかさん。意外と相性いいんですよね。
***
ご家族さんの献身的なケアと、たかさんの頑張りで、日を追うごとに現実味を増していく”退院”。とはいえ、それは「今までの生活に戻ること」を意味してはいません。
現実は時に残酷です。
「たかさんは今までのようには歩けなくなる」
その現実を直視すると胸の奥が締めつけられますが、私の役目は「今まで」と「これから」のギャップをできる限り埋めること。
たかさんとのやりとりは、私を生活支援員として1段も2段も高いところへ引き上げてくれていました。下を向くことはあっても、立ち止まることはありません。
まずは自宅の危険箇所の洗い出しと靴選び。これは専門家の意見が必要と判断し、リハビリ担当のセガワ先生に助言を依頼しました。
「実は、僕も気になっていたんです」
そう言ってくださり、靴屋さんにも同行し、たかさんの自宅確認まで引き受けてくれることに。
優しすぎです、セガワ先生。
もちろん、克服すべき課題もいくつかありました。
***
たかさんの一時帰宅に向けた準備をしている私達。
課題の1つは、たかさんが病院を出るのが1ヶ月半ぶりだということ。体力面はもちろん、普段着に着替えることにも不安がありました。
物事を筋道立てて考えることが苦手なたかさんには「いつもの服に着替える」が「退院できる」と結びついてしまう恐れがあったからです。
たかさんに「もう一度戻ってくる」を伝えるのはとても大変なことでした。
さらに私達は「たかさんを誰が運転する車に乗ってもらうか」という壁にもぶつかっていました。
お母さんは一足先に自宅に戻り、一時帰宅の準備をするので、一緒に帰宅はできない。病院の車には職員以外乗せられないため、セガワ先生の車はNG。
たかさんはご家族さん以外が運転する車には乗れないという規則があるため、私が運転する車にたかさんが乗ることもできません。
いろいろと検討した結果、
・たかさんと私はタクシーで移動
・セガワ先生はタクシーの後ろからついてくる
という、道案内の責任がすべて私の肩にかかっているというキャラバン隊が結成されました。
「よろしく頼むぜ、ブラザー」
…めちゃくちゃプレッシャーですけど、頑張ります…。
***
一時帰宅当日、たかさんは私服でベッドサイドに座っていました。
制服しか見たことない同級生を初めて私服で見た時に似たあの感覚。私はテンション爆上がりでした。
アディダス似合うわ〜。
ジャージの着こなしも素晴らしい。
靴下も懐かしい。
…落ち着け私。
普段タクシーに乗らない私。隣りにいるたかさんと、「フォード」「コロナ」のやり取りをしながら、送迎車に乗っているってこんな気分なのかな…と想像していました。
靴屋さんではセガワ先生の見立てで、足首までしっかり固定できるスニーカーを選びました。店員さんも協力的で、その動きはまさに“チームたかさん”と呼ぶにふさわしいものでした。
「ここに手すりがあると、玄関での靴の脱ぎ履きが安定するかもしれません」
自宅に到着すると、お母さんとセガワ先生が、動線を確認しながら危険箇所を洗い出していきます。
たかさんが2階で生活していたこと、廊下の段差、玄関の上がり框の高さなどをチェックし、手すりを付ける位置や追加で用意する家具などを絞り込んでいきました。
「チームたかさん」には、お父さんという頼もしいチームメンバーがいます。
入院中、たかさんがDVDを観るのが好きと知ると、そのまま最寄りの家電量販店に、たかさん専用のプレーヤーを買いに走るほど、エネルギッシュなお父さんです。
たかさんと誰よりも長い時間を過ごし、繊細な気配りでたかさんに寄り添うお母さん。大胆な決断と行動力で、たかさんの生活をバックアップするお父さん。
この日、私は改めて知ります。
たかさんは、みんなに愛されている。
そして、家での生活をイメージした、階段の昇り降りなど新しいリハビリメニューも追加されました。
***
退院が近づくにつれ、たかさんの“ひとりごと”が増えてきました。今思えば、漠然と退院を意識していたのかもしれません。
「くるっ、くるっ、くるっ、怖くな〜い」
「早くしないと落ちちゃう〜」
「ひろみちお兄さん、うふふ」
「もしもしですか〜?」
「お昼から、ガーコ!」
「志村! 志村!」
「ぞう!!!」
ナースエイドさん「何見てるの?」
たかさん「サイコロ(※画面では弘道お兄さんが踊っています)」
まるで記憶を整理しているようでした。
どれも温かくて、ほっこりする“たかさん語録”です。
(※本作はフィクションですが、実在の人物が登場します。物語の便宜上の表現があります。)
***
陽向総合病院に入院して約3ヶ月。ついに、たかさんの退院の日が決まりました。
正確には、「このまま状況が悪くならなければ、退院できる日」というものです。 率直に、退院の日が決まったのは嬉しいことです。嬉しいことなんですが、素直に手放しで喜べない自分がいました。
「また状況が悪化したら…」という不安も同時に湧いてきたからです。
でも私の役目は、いつも通りの生活リズムで、たかさんの不安を少しでも減らすこと。
そのころ病室では、二ーブレスという膝を固定する補装具のつけ外しや、自宅での過ごし方、リハビリの日程など、退院を見据えたやり取りが頻繁に行われるようになりました。
たかさんは「ぴーすてらす」には戻らず、退院後は別の施設を利用することになっています。今後の生活に必要な情報を、次の施設の職員さんに引き継ぎするのが私の重要な役目の1つです。
たかさん自身も、リハビリを兼ねた病棟内の散歩が日課になっていました。
「たかさん、歩きましょう。」
私が声をかけると、「くるまいす」と返してくれます。
…え? 歩くのに車椅子? 実はたかさん、歩行器も車椅子も両方「くるまいす」と表現するんです。
何度か、「ほこうき」と伝えてみましたがうまくいきません。たかさんの中に「ほこうき」という言葉がないのかもしれません。
そこで私は、歩行器を指差し「トーマス」と伝えてみました。 するとたかさん、「トーマス」をバッチリインプット!
次に、病室においてある車椅子を指差し、 「たかさん、これは何ですか?」 と聞いてみました。すると、「くるまいす」 と答えてくれたではありませんか。
これはファインプレーじゃないでしょうか。歩行器と車椅子を明確に分けて伝達できるようになった瞬間です。
私とたかさんにしか伝わらない事なので、支援上それが正しかったのか正直疑問ではありますが、彼との距離が少し縮まった気がして温かい気持ちになりました。
そして、退院の日が近づいているということは、たかさんと私のやりとりが終わってしまうということでもありました。
本当の本当の、本当の気持ちを素直に書いて良いのなら、退院は嬉しいけれど、1%だけ素直に喜びきれない自分がいた、というのが正直なところです。
***
「明日退院です」
その日は突然やってきました。朝の回診でそう告げられた私たちは、一気に「退院モード」になりました。
お母さんに連絡し、手続きに必要なものを揃えてもらうよう手配し、私も可能な限り荷物を整頓し始めました。
退院する時間は朝8時。前日のご家族さんとの引き継ぎ用紙には、「〇月〇日、直行にてお付き添い」と記載があります。
たかさんは、退院を翌日に控えてもとってもマイペース。いつものように「おかあさんといっしょ」のDVDをリクエストしてくれました。
タイトルは「ありがとうの花」 あのね、たかさん。私、涙腺のパッキンが弱いのよ。退院前日にそのDVDのチョイスは反則じゃありませんかね…。
「うただ。」
「あ、は〜い。」
私の涙腺がうるうる具合にかかわらず、唐突にCDをリクエストしてくれる流れもいつも通りです。
たかさんとのやり取りも、今日で終わりかな、そう思うと寂しさがこみ上げてきます。
いや、違う。ここでのやりとりは「続かないほうがいい」んです。
この生活はたかさんにとって、イレギュラー以外の何物でもありません。 明日から、たかさんには「いつもの生活に戻る」という「新しい生活」が待っています。
今まで通りにはいかないことがたくさんあるので、”新しいいつもの生活”です。
退院当日の朝は、私にとっても特別な日でした。
普段は、ぴーすてらすに出勤してから、たかさんのいる陽向総合病院に移動していましたが、今日は直接病院にやってきました。
ここに来て約3ヶ月。当たり前のように通していた駐車券の処理も、無意識にしていたエレベーターのボタン操作も、今日で最後です。
これが終われば、ぴーすてらすでの業務に戻る。
もしかしたら、変化を一番嫌っていたのは私だったのかもしれません。
「おはようございます。」 私に出来ることは、最後の最後までたかさんの安全を守ること。そう言い聞かせて、いつものように病室のドアを開けました。
そこには、アディダスのジャージをいつも通りに着こなし、ベッドに腰掛けるたかさん。よっぽど私より堂々としてます。
「フォード。(俺、今日なんかいつもと違う服だぜ、ブラザー)」
「フォード。(でも、そっちのほうが似合ってますよ)」
「コロナ。(今日もおでかけするんだろ?)」
「コロナ。(いえ、もうお家に帰るんですよ)」
病室での日課も今日でおしまいです。さあ、行きましょう。退院はゴールではなく、新しいいつもの生活のためのリスタートなんですから。
*** いったん おしまい ***

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